広島県・福山市は、江戸時代に大きな港湾都市として役割を果たした「鞆の浦」(とものうら)があり、水とも深くかかわるとても美しい街です。
近世の港湾施設がほぼ残っているのは、日本全国を見てもこの鞆の浦だけです。
また福山城は築城400年を迎え、通称「令和の大普請」を行い、江戸時代の城をほぼ再現し現在に至っています。
公益社団法人福山観光コンベンション協会は現在、観光での集客と共にMICE※の誘致段階から大会終了までワンストップ窓口としてサポートしています。
※MICE・・・企業等の会議(Meeting)、企業等の行う報奨・研修旅行(Incentive Travel)、国際機関・団体、学会などが行う国際会議(Convention)、展示会・見本市、イベント(Exhibition/Event)の頭文字のことであり、多くの集客交流が見込まれるビジネスイベントなどの総称。(出典:国土交通省観光庁)
今回は同協会の事務局の須野田萌衣さんに観光とMICEの話を伺いました。
公益社団法人 福山観光コンベンション協会
須野田 萌衣さん
事務局
人と物が行き交う、瀬戸内の大動脈だった鞆の浦
――まず福山市の歴史と今後の方向性についてから教えてください。
須野田萌衣さん(以下、須野田さん) 福山市は、江戸時代から商業・産業が盛んな地域です。
初代福山藩主・水野勝成※は、福山で干拓を実施し、新たな土地を開拓しました。
※水野勝成・・・徳川家康のいとこにあたり、戦国時代の合戦から関ヶ原の戦い・大坂の陣まで、数え切れないほどの武功を挙げる。初代福山藩主。西国大名の抑えの役割も担った。
この干拓地は元々が海で、少なからず海水の影響を受けるため稲作に適しませんでした。この瀬戸内海沿岸を開拓した大名の共通の悩みです。
そこで塩にも強い綿を育てて、綿織物が発展したという歴史があります。
以前は、絣(かすり)※という織物の製造・販売にも強い地域でした。その他にも、楽器のお琴の製造地でも有名でした。
最近は外から人を呼び込む観光に注目。今あるものを活用して集客・誘客し、観光業と産業の発展を目指しているところです。
※絣・・・文様がかすれて見えることが特徴の文様織の一種で、絣糸を使用した織物。
朝鮮通信使から絶賛された「鞆の浦」の景観
――次はおすすめの観光地はどういった所がありますか。
須野田さん 「鞆の浦」と「福山城」の2つの名所を紹介します。
まず鞆の浦は、日本で唯一のものが2つもあるんです。
1つ目は、日本遺産・重要伝統的建造物群保存地区・ユネスコの世界の記憶の3つ全てに認定されているのは、この鞆の浦だけです。
私は昨年日本遺産フェスティバルに参加しましたが、お客様から「この3つをすべて認定されているのはすごいですね」と声を掛けられました。改めて価値が高いことが分かりました。
次に鞆の浦の歴史についてご説明します。江戸時代、日本は朝鮮から外交使節団である朝鮮通信使※を受け入れ、日朝の交流を深めていました。対馬などを経由した朝鮮通信使は瀬戸内海で鞆の浦にも立ち寄ります。
江戸中期の1711年に、朝鮮通信使の李邦彦(イ・パンオン)※が鞆の浦付近の海岸山千手院福禅寺の本堂に隣接する「対潮楼」(たいちょうろう)の座敷から海を眺めた時のことです。
「この景色は本当に素晴らしい」との感想を抱き、「日東第一形勝」(日本で一番美しい景観)※と絶賛した記録を残しています。対潮楼は、江戸時代の元禄年間に創建された客殿で国の史跡に指定されています。
※日東・・・当時、朝鮮時代では日本は日の昇る東側の国であるため、日本を総称してこの表現が用いられた。
※朝鮮通信使・・・江戸時代に朝鮮王朝が日本に派遣した外交使節団。1607年から1811年までの間に12回来日し、学術・芸術・産業・文化など様々な分野で交流を深めた。
※李邦彦・・・朝鮮時代の文官。
港湾施設がほぼ完全に残る貴重な場所
――それでは、2つ目の日本唯一のものはどのようなことですか。
須野田さん 鞆の浦の日本唯一のものは、「近世の港湾施設がほぼ完全な形で残っている」ことです。
江戸時代の港湾施設には、主に5つの設備が置かれました。下記の5つがほぼ完全な形で残っているのは鞆の浦だけなんです。
須野田さん 歴史的に見ても、鞆の浦は瀬戸内海で有力な港湾都市でした。
特に鞆の浦のシンボルである常夜灯は、地上からの高さは5.5m、海中の基礎の上から宝珠まで11mあり、現存する江戸時代の常夜灯としては最大級の大きさです。
鞆の浦に来られた観光客の多くは、この「常夜灯」で写真撮影します。
――港湾施設以外ではどのような役割がありましたか。
須野田さん 施設の次は、江戸時代から瀬戸内海を代表する漁法である「鞆の浦鯛しばり網漁法」を紹介します。
古くからの漁法を今に伝え、福山市の無形民俗文化財に指定されています。長い歴史の中で変わっていきましたが、伝統的な漁業の様子を示す貴重な漁法です。
この伝統漁法を再現したのが「鞆の浦観光鯛網」。鯛が戻ってくる4月末から5月上旬にかけて実施されています。
漁法は二艘の船で網を引っ張り、鯛を追いかけて一網打尽にします。それを観覧船で、お客様に見て頂くのが「鞆の浦観光鯛網」です。
そうした関係で鞆の浦を始めとする福山市内には、鯛飯、鯛茶漬けなど様々な鯛料理の店が並んでいます。
宮崎駿監督は、鞆の浦に1ヵ月滞在し、大変街並みなども気に入られたようで、ジブリ映画『崖の上のポニョ』の構想を練ったといわれています。さらにハリウッド映画『ウルヴァリン:SAMURAI』など、その他様々な映画が撮影されました。
鞆の浦以外にも、福山市で映画やドラマ、CMが撮影されることも増え、最近では、11月10日に全国ロードショーされた映画『正欲』も福山市内でも撮影された作品の一つです。
守りに強く鉄板を張り巡らした「福山城」
――次はもう1つの名所「福山城」のご紹介ですね。
須野田さん 1622年に福山藩初代藩主の水野勝成により築かれ、2022年8月28日に築城400年を迎えました。
福山城の最大の特徴は、天守北側の鉄板張り。
天守の北側の壁には、風雨への備えとともに、天守の位置が城郭内の北側に寄っているため、外部から直接天守が攻撃されることへの備えのため鉄板が張り巡らされた全国唯一の城で、「江戸時代建築最後のもっとも完成された城」として称賛されるほどの城です。
しかし福山城は、1945年8月の福山大空襲で城下に残る多くの文化財とともに、その姿は焼失してしまったのです。
1966年には、市政50周年記念事業として天守、月見櫓、御湯殿が再建されましたが、最大の特徴である鉄板張りは再現されませんでした。
しかし、2020年から始まった福山城の大規模改修工事、通称「令和の大普請」により、水野勝成時代の北側の鉄板張りが復活しました。
現在の天守閣は展示物だけでなく、デジタル技術を活用した近代的な博物館へとリニューアルされました。
サウナ施設、貸切風呂もある宿泊施設も!福山市ならではの温泉とグルメ
――次は福山市の温泉施設も教えて欲しいのです。
須野田さん 鞆の浦温泉をご紹介します。鞆の浦温泉は、日本有数のラジウム(単純弱放射能冷鉱泉)含有量を誇り、神経痛・筋肉痛・健康増進など広い効能があります。
この鞆の浦温泉に入れる施設としてホテル鷗風亭、景勝館漣亭、汀邸 遠音近音が有名です。
ホテル鷗風亭では、大浴場や鞆の浦の海と空に包まれる露天風呂に加え、屋上展望露天風呂や、貸切露天風呂など様々な温泉が楽しめます。また、日帰り温泉を楽しむことも出来ます。
景勝館漣亭では、鞆の「仙酔島」を望める景観とともに温泉で癒されることができます。また、檜樽風呂や舟形風呂などユニークな湯舟もあり、食事とセットの日帰りプランも人気です。
そして、汀邸 遠音近音では全室に露天風呂が設置されているほか、無料で利用できる2つの貸切露天風呂があり、波音をBGMに優雅なひとときを過ごすことができます。
また、姉妹館で利用できる湯めぐりサービスがあり、各施設で異なる雰囲気の多彩な鞆の浦温泉をお楽しみいただけます。
――次は福山市ならではのグルメについても伺いたいです。
須野田さん まず福山市の食材を使った「福つまみ」があります。
福山市特産の食材「ねぶと」「ちいちいいか」「くわい」「ガス天」「鯛ちくわ」を使った、7種類のおつまみの総称を指します。
「福つまみ」という名称は、福山のおつまみであることと、「福が来る、幸せな気持ちになれる」というイメージから決定しました。
福山市のいろいろな飲食店で提供されています。手のひらサイズの食材が、煮たり揚げたり、料理することで最高のおつまみになります。
やはりお酒を飲まれる方が「福つまみ」を食べる方が多いのです。
そこで関連イベントもお酒とのコラボが多く、2023年10月7~8日には「福山城 酒肴祭~福つまみグランプリと備後vs安芸 美酒の合戦~」というイベントを開催したところです。
※2023年11月28日時点、プレミアムチケットは完売しています。詳細は上記のリンクをタップしてください。
須野田さん 次は「うずみ」です。うずみの由来は諸説ありますが、そのうちの一つを紹介します。
江戸時代はしばしば倹約令が出され、武家だけではなく町人のぜいたくも禁止された事例があります。
人々に質素な生活を強いていたのですが、やはり美味しいものを食べたいのです。そこで、分からないように具をご飯の下に埋(うず)めて食べたことが始まりといわれる福山の郷土料理です。
表面は質素でありつつも、中味はとても美味しい料理。
福山市以外でも島根県の石見地方の「うずめ飯」や、岡山県の「備前ばら寿司」があるので、似たような食文化は中国地方の各地でも伝わっています。
福山市では昭和40年代まで、主に秋の収穫を祝う料理として、各所で食べられていました。ですが食生活の多様化に伴い、食べる機会は少なくなってきました。
しかし学校給食での米飯導入に伴い、1990年(平成2年)から郷土料理「うずみ」の歴史学習とともに小学校児童への提供が始まりました。現在でも給食メニューとして提供されています。
具材は地域ごとに違いがあり、おもに里芋、にんじん、松茸、しいたけ、エビ、鯛、鶏肉などが使われています。
福山はバラ、世界が認めるデニムと酒蔵が大きな存在感
――食文化には多様性があって面白いですね。
次に福山市の特産品・お土産品はどのようなものがありますか。もし地酒があればご紹介お願いします。
須野田さん まず、「ばら」を紹介します。福山市の市の花の一つにばらがあり、「ばらのまち福山」と呼ばれています。毎年5月には、市民を中心に2日間にわたり「ばら祭」が開催されます。
そのタイミングで福山市は、ばらにちなんだオリジナルグッズの中から、ばら祭のお土産にふさわしい「ばらグッズ」を認定しています。毎年、様々なばらグッズ認定品が誕生し、福山市のPRへとつながっています。
市政100周年を迎えた2016年には「100万本のばらのまち福山」を達成、2025年には第20回世界バラ会議福山大会を開催予定です。
次は、「デニム」です。福山のデニム生産量は全国シェア約8割を占めるほどデニムの街でもあります。(日本綿スフ織物工業連合会による調査)
福山はもともと伝統産業では綿織物、特に絣が盛んでした。しかし、時代とともに絣を使った衣服を着なくなってきたのです。
福山市は江戸時代、福山藩初代藩主水野勝成の奨励により、綿の栽培が盛んになりました。江戸時代後期には、日本三大絣の一つ「備後絣」が生まれ、ここで培われた厚手生地の織布技術や藍染めなどの染色技術が、デニムの産地として発展する背景になりました。
そして安定してデニムを生産できる機械を開発した後、福山は絣から日本屈指のデニム産地に成長したんです。
特に「カイハラデニム」※は、日本で生産されている半分を占めています。カイハラデニムの工場で生産される糸の約3分の1がユニクロのジーンズになって店頭に並んでいます。
※カイハラデニム・・・ユニクロジーンズの生地を手掛ける、世界に誇る日本のデニム生地メーカー・カイハラ。今や、世界の「プレミアムデニム」には欠くことの出来ない存在。
絣の話で一つ話題があります。映画『ミステリと言う勿れ』に伝統工芸品「備後絣」のエプロンが使用されていました。
須野田さん 最後に、福山市唯一の酒蔵※である天寶一(てんぽういち)を紹介します。福山市の北部の神辺町で100年以上の歴史を持ち、県外や海外でも評価されるお酒造りを目指しています。
※酒蔵・・・お酒を製造したり、貯蔵したりする蔵のことを指す。
須野田さん 「和の食材、食文化を最大限に活かす名脇役」がコンセプトの日本酒。
食と融合し、料理の味を引き立たせ、飲むに旨さを増す食事に寄り添うキレの良さが特徴です。
先ほど福山とばらとの関りを話しましたが、ばら酵母を仕込んだ日本酒「ローズマインド」を開発・販売。広島で開かれたG7サミットの各国代表団に天寶一の「純米吟醸ローズマインド」が振舞われました。
多様な宿泊者のニーズに応えた宿泊施設も充実
――非常に魅力が豊富である地域であることがよくわかりました。広島県の中でも規模が大きい市ですので、宿泊施設も充実していると思うのですが。
須野田さん 先ほどは宿泊機能を備えた温泉施設を解説しました。宿泊施設となりますと、大きく2つに分かれます。
1つ目の「鞆スコレ・コーポレーション」やそのグループ会社である「TM・クロックワーク」は、先ほど鞆の浦温泉についてご紹介した「鷗風亭」その他のホテルなどを運営しています。
お客様に充実した余暇を過ごしていただくことを第一に、従業員一同が創意工夫をし、くつろぎと楽しさの時間を提供されているとのことです。
運営会社は同じですが、コンセプトやスタイルはそれぞれ異なり、価格帯や旅先の過ごし方など多様な宿泊者のニーズに応えた宿泊施設を運営されています。
次に「福山ニューキャッスルホテル」は、福山駅から徒歩1分という利便性と、備後一の規模を誇るシティホテルです。最大1200名収納可能な大宴会場をはじめ、和・洋・中バラエティに富んだ各種レストランを備えています。
婚礼に加えて、地元での重要イベントや、VIPの接待、広く利用が可能なホテルです。また、こちらはMICE利用もできる施設です。
福山市が提唱するエリアMICE
――観光とともにもう一つの柱であるMICEへの注力についてはいかがでしょうか。エリアMICEという新たな手法を提案されていますが。
須野田さん MICEとは元々一つの建物で、会議から会食、経済活動までを完結させることができるイベントを指します。しかし福山市には、そのような大規模な会場はありません。
そのため、福山市のMICEは既存の施設を最大限に活用し、エリア全体を一つの会場として行う「エリアMICE」の誘致を行ってきました。
ご紹介した福山城などの歴史的建造物や文化施設、神社仏閣など福山ならではの会場を組み合せ、海外や国内大都市の大型施設で開催されるものとは雰囲気の違うMICEを開催します。
福山市のMICEでは神社や美術館、博物館など、その土地ならではの風情や特別感を演出できるユニークベニューでの開催が人気なんです。
2025年の開催予定の世界バラ会議福山大会のような国際的なMICEや福山市の強みを活かす鉄鋼、繊維など市内企業にゆかりのある産業などに特化した産業MICEの誘致も展開しています。
一時期、コロナ禍でMICEの件数が減った時期もありましたが、件数も徐々に増え、福山市でMICEを開催する動きも高まっています。
MICEの誘致に積極的に取組んでおり、福山観光コンベンション協会の事業としても、イベント主催者に対して、参加者のうち県外からの宿泊者30名以上などの条件を付けて補助金を交付しています。
また、開催助成金以外に、「シャトルバス助成金」「プレ・ポストプログラムバス助成金」「国際会議助成金」制度を準備して、観光とともにMICEによる集客・誘客に力を入れています。
世界バラ会議福山大会では600~700名のバラの愛好者・研究者が集まります。
これを成功させ、MICEを開催できる実績も積むことで、大規模なMICEの開催をさらに呼びかける方針です。
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